やっほー☆
じゃあ歎異抄の中序をギャル語で翻訳してみるね!
もくじ
歎異抄 中序 原文
まず、原文はこんな感じ♪
そもそもかの御在生のむかし、おなじくこころざしをして、あゆみを遼遠の洛陽にはげまし、信をひとつにして心を当来の報土にかけしともがらは、同時に御意趣をうけたまはりしかども、そのひとびとにともなひて念仏申さるる老若、そのかずをしらずおはしますなかに、上人(親鸞)の仰せにあらざる異義どもを近来はおほく仰せられあうて候ふよし、伝へうけたまはる。
いはれなき条々の子細のこと。
ギャル訳-中序-
昔ね、親鸞さんが生きてたころ、みんなで同じ志を持って、遠い都まで行って、同じ信心で「極楽浄土に行くぞー!」って思ってた仲間がいたのよ。
みんな一緒に念仏を唱えて、親鸞さんから大事な教えを聞いてたんだけど、最近、その中にちょっとズレたことを言い出す人たちが増えてるって聞いたの!
親鸞さんが言ってないようなことを勝手に言い始めてるんだけど、マジそれって「なんでそんなこと言うの!?」って感じ。
だから、その誤解とかズレた部分をひとつひとつバシッと説明したいってわけ☆
こんな感じのことを言ってるよ!
『歎異抄』って本には、親鸞さんの教えが「師訓編」と「歎異篇」に分かれて書かれてるんだけど、真信編の最後の第十条が、そのまま歎異篇の序文みたいになってるの
前半の師訓編では、親鸞聖人が本当に大事にしてた信心の教えがまとめられてて、後半に、ズレた考え方を批判する歎異篇が続くんだよね。
特に第10条で自らのはからいをまじえないことが実は大事なんだって教えが、前半の最後でしっかりまとめられてて、それが後半の歎異篇に繋がる鍵になってるってわけ。
後半の第11条から第18条までは、その間違った解釈がいろいろ出てくる理由とかが具体的に書いてあるよ!
じゃあ次は歎異抄第11条をわかりやすくするね!
これをわかりやすくするね♡