やっほー☆
じゃあ歎異抄の流罪記録をギャル語で翻訳してみるね!
もくじ
歎異抄 流罪記録 原文
まず、原文はこんな感じ♪
後鳥羽院の御宇、法然聖人、他力本願念仏宗を興行す。
ときに、興福寺の僧侶、敵奏のうへ、御弟子のうち、狼藉子細あるよし、無実の風聞によりて罪科に処せらるる人数のこと。
一 法然聖人ならびに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪におこなはるるなり。聖人は土佐国幡多といふ所へ流罪、罪名、藤井の元彦男云々、生年七十六歳なり。
親鸞は越後国、罪名藤井善信云々、生年三十五歳なり。
浄聞房 備後国 澄西禅光房 伯耆国 好覚房 伊豆国 行空法本房 佐渡国 幸西成覚房・善恵房二人、同遠流に定まる。
しかるに無動寺の善題大僧正、これを申しあづかると云々。
遠流の人々、以上八人なりと云々。
死罪に行はるる人々
一番 西意善綽房
二番 性願房
三番 住蓮房
四番 安楽房
二位法印尊長の沙汰なり。
親鸞、僧儀を改めて、俗名を賜ふ。
よつて僧にあらず俗にあらず。
しかるあひだ、禿の字をもつて姓となして、奏聞を経られをはんぬ。
かの御申し状、いまに外記庁に納まると云々。
流罪以後、愚禿親鸞と書かしめたまふなり。
ギャル訳-流罪記録-
時代は後鳥羽上皇の時代ね。
このとき、法然聖人が「他力本願」っていう、阿弥陀様の力で救われる念仏の教えを広めたの!
これがね、めちゃくちゃ大ヒットしちゃったんだけど、当然アンチも出てくるわけよ。
で、興福寺の僧たちが「ちょっと待って!法然の教えって仏教の伝統をぶっ壊してるんじゃない!?」って朝廷にガチでクレーム入れたのね。
その上、法然聖人の弟子たちが「なんかヤバいことしてるんじゃね?」みたいなウワサが広まっちゃってさ〜、マジで無実なのに、それを信じた人たちが「じゃあ処罰するしかないっしょ!」ってなっちゃったわけよ。
まず、処罰されたのは法然聖人と弟子7人。
全員「流罪」っていうね、今で言うとめっちゃ遠くに島流しみたいな感じで、法然聖人は土佐(今の高知県)に送られたの。
しかも罪人名は「藤井の元彦」っていう偽名みたいな感じで、76歳の超おじいちゃんが流されちゃったのよ、信じられる!?
泣けるよね〜(涙)。
で、親鸞聖人も一緒に罪人扱いされて、越後国(今の新潟)に流されちゃった。
彼の罪人名は「藤井善信」って名前でね、当時35歳。
若いよね!他にも浄聞房とか澄西禅光房、好覚房とか、弟子たちが次々といろんな地方に飛ばされて、全部で8人が流罪になっちゃったってわけ。
でもね、もっと悲しいのが、4人の弟子たちが「死罪」にされちゃったこと!
死刑だよ!?
その4人は、西意善綽房、性願房、住蓮房、安楽房っていう人たちで、これを決めたのが法印尊長って偉いお坊さんだったんだよね。
でさ、親鸞聖人は僧籍を剥奪されちゃって、「もうお坊さんじゃないけど、俗人(一般人)でもない」っていう、なんとも言えない立場にされちゃったの。
そこで、親鸞聖人は自分の名前を「禿(とく)」っていうちょっと変わった名前にして朝廷に届け出たんだけど、それが認められちゃったのよ!
で、その後は「愚禿親鸞」って名前を名乗ることになったの。
こんな感じのことを言ってるよ!
この記録は、法然と親鸞の教えが、当時の「自力で修行しなきゃ!」っていう社会の中で、どう批判されてたかを示してるの。
仏教や儒教、国家権力が「他力本願なんて怪しい!」ってバッシングしてたけど、それこそが「人間の考えじゃ理解できない法」だって証明してるんだよね。
法然と親鸞は流罪になっても、世間の批判なんか気にせず、如来の本願を信じて念仏を広め続けた!
親鸞が「愚禿親鸞」って名乗ったのも、流罪で僧でも俗でもない立場になったから。これこそ、念仏を貫いた親鸞たちの強さを見せてるんだよ☆
じゃあ次で最後だよ!
歎異抄 蓮如上人の添えた奥書に続くよ!
これをわかりやすくするね♡