やっほー☆
じゃあ歎異抄の第12条をギャル語で翻訳してみるね!
もくじ
歎異抄 第12条 原文
まず、原文はこんな感じ♪
結構長いけど、後ろにわかりやすく訳してあるから安心してね☆
経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といひつべし。
他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る。
そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。
まことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。
経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。
一文不通にして、経釈の往く路もしらざらんひとの、となへやすからんための名号におはしますゆゑに、易行といふ。
学問をむねとするは聖道門なり、難行道となづく。
あやまつて学問して名聞・利養のおもひ住するひと、順次の往生いかがあらんずらんといふ証文も候ふべきや。
当時、専修念仏のひとと聖道門のひと、法論をくはだてて、「わが宗こそすぐれたれ、ひとの宗はおとりなり」といふほどに、法敵も出できたり、謗法もおこる。
これしかしながら、みづからわが法を破謗するにあらずや。
たとひ諸門こぞりて、「念仏はかひなきひとのためなり、その宗あさし、いやし」といふとも、さらにあらそはずして、
「われらがごとく下根の凡夫、一文不通のものの、信ずればたすかるよし、うけたまはりて信じ候へば、さらに上根のひとのためにはいやしくとも、われらがためには最上の法にてまします。たとひ自余の教法すぐれたりとも、みづからがためには器量およばざればつとめがたし。われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておはしませば、御さまたげあるべからず」
とて、にくい気せずは、たれのひとかありて、あだをなすべきや。かつは諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべきよしの証文候ふにこそ。
故聖人(親鸞)の仰せには、
「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候ふ。しかれば往生はいよいよ一定とおもひたまふなり。あやまつてそしるひとの候はざらんにこそ、いかに信ずるひとはあれども、そしるひとのなきやらんともおぼえ候ひぬべけれ。かく申せばとて、かならずひとにそしられんとにはあらず、仏の、かねて信謗ともにあるべきむねをしろしめして、ひとの疑いをあらせじと、説きおかせたまふことを申すなり」
とこそ候ひしか。
今の世には、学文してひとのそしりをやめ、ひとへに論議問答むねとせんとかまへられ候ふにや。
学問せば、いよいよ、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いらしからん身にて往生はいかがなんどあやぶまんひとにも、本願には善悪・浄穢なき趣をも説ききかせられ候はばこそ、学生のかひにても候はめ。
たまたまなにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどいいおどさるること、法の魔障なり、仏の怨敵なり。
みづから他力の信心かくるのみならず、あやまつて他を迷わさんとす。
つつしんでおそるべし、先師(親鸞)の御こころにそむくことを。
かねてあはれむべし、弥陀の本願にあらざることを。
ギャル訳-第12条-
まず、学問しないと極楽往生できないって言うヤツいるけど、それってかなりズレてるし、めっちゃダメな考え方よね〜!
阿弥陀様の本願って、「ただ信じて念仏唱えれば仏になれるよ♪」ってことが全てだからさ、他に学問とか関係ないのよ☆
でもさ〜、もし「その話すらよくわかんない〜」って人がいるなら、ちゃんと学んで本願のありがたさを知ってほしいんだよね。お経とかめっちゃ読んでるけど、本当の意味がわかってない人はマジで情けないわ〜。
阿弥陀様の名前(名号)を唱えるだけで助かるから「易行」って言うんだけど、学問メインの人たちは「難行」って呼ばれて、めっちゃ大変な道なの!
学問して名誉とかお金とか狙ってる人はさ、往生どうなることやら〜って感じ。
先に言っとくけど、そういう証文(証拠)もちゃんとあるのよ☆
最近は、専修念仏の人と聖道門の人が「どっちが正しい宗派か!」って争っちゃっててさ、もう敵みたいになっちゃってんのよ。
これって結局、自分で自分の信仰をダメにしてるじゃん。マジもったいないよね〜。
たとえ他の人が「念仏なんてダサい!浅い宗教だ!」って言っても、そんなの気にしないで、
「私たちみたいな凡人でも、信じれば助かるって言われてるし、これは私たちにとって最高の教えだよ〜♡ 他の宗派がすごいかもしれないけど、私たちにはこの教えがピッタリ!他の人もみんな救われることが仏様の本当の願いだから、邪魔しないでね〜☆」
ってニコニコしてれば、誰も文句言わないし、争いも起こらないよ〜!
争うとね、いろんな煩悩(悪い心)が出ちゃうから、賢い人はそれを避けた方がいいんだって。
親鸞聖人も、
信じる人もいるし、バカにする人もいるよ〜ってお釈迦様が言ってたからね☆
私は信じてるし、バカにされることもあるってことは、お釈迦様の教えが本当だって証拠だね!
って超ポジティブ☆
だから、バカにされても往生できるのは確定よ〜って思うんだって♪
最後に、今は「学問して論議で勝ってやる!」みたいなことを考えてる人がいるけど、そうじゃなくて、学んで「本当に阿弥陀様の本願ってすごい!」ってわかるようになったら、本当に価値があるのよ☆
学問なんかしなくても、念仏を心から信じてる人がいるのに、学ばないと助からないって脅すのはマジで仏法の邪魔してるし、阿弥陀様の敵!
そんなことしたら自分も他の人も迷わせちゃうから、超ヤバいよ!
親鸞様の教えにも逆らってるし、弥陀様の本願にも背いてるんだから、ちゃんと気をつけなきゃね〜☆
こんな感じのことを言ってるよ!
まず、「聖道自力」の人たちって、自分の学問とか努力がすごい!って思ってるんだけど、そういう考えで念仏を守ろうとするのがヤバいのよ!
彼らは「学問しなきゃダメ!」「うちの宗派が一番!」「バカにされないようにしなきゃ!」って思ってて、学問しない人には「お前ら往生できないぞ〜!」って脅しちゃうの。
それって、唯円からすると、マジ最悪なんだって!
だから「法の魔障」とか「仏の敵」ってめっちゃキツく非難してんのよ☆
『御消息集』にある言葉で、「仏法者が仏法を壊す」って話を思い出してみて!これは、「獅子が自分の体の中にいる虫に食べられちゃう」みたいなヤバい状況のことを言ってるのね〜。
で、こういう「護教者気取りの学生」たちが、専修念仏を「仏教の伝統を壊す邪道だ!」って決めつけて、法然や親鸞を流罪にしちゃったんだよね〜。
『歎異抄』の最後にも流罪のことが書いてあるけど、ここで言いたいのはそのこと!
実は、法然聖人が『七箇条制誡』っていうルールを作ったときにも、「自分が愚か者ってことを忘れちゃダメ!」って戒めがあったの。
あと、親鸞様も「牛泥棒って呼ばれても、仏法者としてカッコつけたりするなよ〜!」って言ってて、それが浄土真宗の大事な掟になったんだよね♡
この章では、「自力のはからい」がどれだけ恐ろしいかを示していて、無知な凡夫でも、阿弥陀様の本願にぴったり合ったシンプルな念仏こそが、本当の仏道なんだよってことを教えてるのよ〜☆
じゃあ次は歎異抄第13条をわかりやすくするね!
これをわかりやすくするね♡