やっほー☆
じゃあ歎異抄の第2条をギャル語で翻訳してみるね!
もくじ
ギャル語歎異抄 第2条
まず、原文はこんな感じ♪
おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふこころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。
しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。
もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもつて存知せざるなり。
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。
そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。
いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。
仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。
善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。
法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。
詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。
このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。
今回はちょっと長いけど、がんばるね♪
ギャル訳歎異抄 第2条
まずね、みんながわざわざ命がけで遠くから来てくれたのって、極楽浄土に行く方法を知りたいからでしょ?
親鸞的には、その答えってめっちゃシンプルで「念仏を唱えること」だけなの。
でもさ、もし「他にも方法あるんじゃない?」とか「親鸞さん、他の教えも知ってそうだし?」とか思ってるなら、それは超〜勘違いだよってこと☆
もし「他のやり方あるかも〜」って思うなら、南都とか北嶺(奈良や比叡山)にすごいお坊さんいっぱいいるから、その人たちに会って聞いてもいいよって話。
でも、親鸞はそういうのしないで、「念仏だけで阿弥陀様に助けてもらえる!」って、師匠の法然さんに教えてもらったから、他に何か特別な理由はないの。
ただ、ひたすら信じてるだけって感じ♡
でさ、念仏が極楽行きのチケットなのか、もしかして地獄行きの原因なのか?正直それは分かんないって親鸞も言ってるの。
でも、もし仮にだよ?法然さんに「騙されて」念仏唱えて、万が一地獄に落ちたとしても、親鸞は「全然後悔しないよ〜!」って言ってるのね。
だって、もし他の修行とか頑張ってたら仏になれたのに、念仏唱えて地獄行きになったら「騙された!」って思うかもだけど、私たちはどの修行もマスターできるほど立派じゃないのよ!
だから、どっちにしろ地獄行きなら、他に方法はないよねって感じ☆
でね、阿弥陀様の本願がほんとに本物なら、お釈迦様が嘘ついてるはずないし、お釈迦様が本当のこと言ってるなら、善導さんも絶対間違ってないし、そしたら法然さんが嘘ついてるなんてありえないでしょ!
だから、法然さんの教えが正しいなら、親鸞がみんなに言ってることも間違いないってことになるのよ♡
つまりさ、親鸞の信心ってこういう繋がりでできてるわけ。
だから、「念仏を信じるか、それともやめるか?」はみんなの自由に任せるよってことを伝えたいのよん♡
自分で決めていいって感じ〜♪
こんな感じのことを言ってるよ!
唯円にとって「念仏が浄土に往生できるかわからない」って聞いたときは、本当に衝撃だったと思うよね。
わからないからこそ、この話はガチだと確信できるってスゴい受け止め方!
じゃあ次は歎異抄第3条をわかりやすくするね!
これをわかりやすくするね♡