やっほー☆
じゃあ歎異抄の第5条をギャル語で翻訳してみるね!
もくじ
歎異抄 第5条 原文
まず、原文はこんな感じ♪
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。
ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。
ギャル訳-第5条-
親鸞聖人は、
亡き父母の追善供養のために念仏を一回でも唱えたことは、今まで一度もないよ
って言ってるの!
その理由は、すべての生き物が、過去の何回もの生まれ変わりで、自分の親や兄弟だったかもしれないから、特定の人だけ助けるんじゃなくて、みんなを助けるべきだって考えてるからなの☆
みんなが順番に仏になって、他の生き物を助けるべきなんだよね♪
もし自分の力で善行ができるなら、その功徳を親に回して助けることもできるかもしれないけど、それは自分一人の力でできることじゃないんだよね。
だから、自力に頼らずに念仏して、早く浄土で悟りを開くことが大事!
そうすれば、どんな世界に生まれ変わって苦しんでる人でも、仏の力を使って、まず縁がある人から助けることができるってことなの☆
こんな感じのことを言ってるよ!
この文章では、「自力を捨てて他力を頼る」ことを、親への孝行の観点で考えてるんだよね。
普通は、親への恩返しを優先しがちだけど、それは「自分の親だけを助けたい」という自己中心的な考えが入ってるよって指摘してるの。
仏教は、すべての生き物が過去に親や兄弟だったかもしれないから、みんなを平等に見るべきだって教えてるの。
それが「仏の心」で、自分の力を超えて仏の智慧と慈悲に頼ることが大切ってこと☆
じゃあ次は歎異抄第6条をわかりやすくするね!
これをわかりやすくするね♡