やっほー☆
じゃあ歎異抄の後序をギャル語で翻訳してみるね!
文章が長いから、記事を分けてお届けするよ☆
もくじ
歎異抄 後序その1 原文
まず、原文はこんな感じ♪
右条々は、みなもつて信心の異なるよりことおこり候ふか。
故聖人の御物語に、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおはしけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ。親鸞、御同朋の御なかにして御相論のこと候ひけり。
そのゆゑは、「善信が信心も聖人の御信心も一つなり」と仰せの候ひければ、勢観房・念仏房なんど申す御同朋達、もつてのほかにあらそひたまひて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と候ひければ、
「聖人の御智慧・才覚ひろくおはしますに、一つならんと申さばこそひがごとならめ。往生の信心においては、まつたく異なることなし、ただ一つなり」
と御返答ありけれども、なほ「いかでかその義あらん」といふ疑難ありければ、詮ずるところ、聖人の御まへにて自他の是非を定むべきにて、この子細を申しあげければ、法然聖人の仰せには、「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と仰せ候ひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候ふらんとおぼえ候ふ。
ギャル訳-後序その1-
歎異抄の第11条以降ではなしている異議は、結局のところ、親鸞聖人の信心とズレちゃってる人たちから出てるんじゃない?ってことだよね。
昔、法然聖人の時代にも弟子はたくさんいたけど、法然聖人と親鸞聖人と同じ信心を持ってた人は少なかったみたい。
で、あるとき親鸞様が「私の信心も法然聖人の信心も同じだよ〜」って言ったら、他の弟子たち、特に勢観房とか念仏房っていう人たちが、「えっ、どうして法然様の信心と親鸞様の信心が同じなんだ!?」ってびっくりして反論してきたんだよね。
彼らは、法然様の方が知恵もすごいし、才覚も広いから、「信心が同じなわけないでしょ!」って感じだったの。
でも親鸞様は、「法然様の知恵や学識がすごいって意味で同じって言ってるんじゃなくて、往生のための信心に関しては全く同じだよ」って言ったの。
けど、それでも納得しないから、最終的には法然様に直接聞いてみようってことになったんだ。
で、法然様が何て言ったかっていうと、「私の信心も、親鸞の信心も、どっちも如来(仏様)からもらった信心だから、完全に同じだよ。もしこの信心が違ってるなら、私が往生する浄土には一緒に行けないはずだよ」ってことだったの。
だから今の念仏をしてる人たちの中にも、親鸞様と同じ信心を持ってない人がいるのも、不思議じゃないよね〜って話。
こんな感じのことを言ってるよ!
ここでは、まず法然聖人の弟子たちの間で、信心が同じか違うかで争いがあったことを取り上げてるんだよね。
つまり、法然様や親鸞様が生きてた時から、二人とは違う信心を持つ人が結構いたってことを示してるわけ。
で、今の親鸞門下にある異議(後八条に書いてあるやつ)も、全部この「信心が違う」ことから起こった問題だよ〜って指摘してるの。
これは「親鸞聖人の教えとは違う異議だよ!」って中序で言ってたことを押さえてる感じだね☆
じゃあ次は歎異抄後序その2に続くよ!
これをわかりやすくするね♡